2013年01月30日

銀座でふとぅふとぅ

2013/1/27 16:00〜 (整理券配布 14時から)
銀座わしたショップ地下売り場
ハルサーエイカートークイベント
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すいません。あの。この文章、誰が何言ってたかーとかはぜんぜんわからないかもしれないです。お客さんこんなでしたーっていうレポートかも。いや、きっと、イベント作った人はそういうことも知りたいはずだ…はず。

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posted by 菊弥丸 at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | シュミ

2013年01月26日

遅ればせながらアテルイ伝の1,2話を視聴。

遅ればせながらアテルイ伝の1,2話を視聴。ちょー駆け足。もっと人のドラマが欲しいところだが、題材に免じてプラス評価。

あざまろ(呰麻呂)が反乱を起こしたとき「我(wah)は蝦夷だ」という。「外」という意味で与えられた名前を自分で名乗るというところに二重の視点を感じる。

「汝(nah)は誰だ」とアテルイの妹が問う。

蝦夷と呼ばれた人々が、自分たちを一体の国か民族のようなものとしてとらえていたら、自らの呼称があっただろう。それがないとしたら。ヤマトと対峙することで初めてその意識が立ち上がったのではないか。

線を引かれて外になる。いまでも様々にあること。

ウチの人にはその理由が分かる。外にされた人は、言われて線を引かれたことに気づく。あるいは呼応して線の存在を認めることもある。

アテルイの兄アマヒコが言う。「我は蝦夷だ。蝦夷で悪いか」言ったとたんに引かれた境界線を認めることになる。その線をなかったことにするには、ウチに入るか、不当だとして闘うか、あるいはウチの人の方を変えるか。

アテルイの兄はウチに入ることを選んだようだ。
タグ:時代劇
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南の人

あんまりにもな出来だったので描き直したのにまだこんなー。
沖縄顔は難しい。何が難しいって、正面から見た顔から、今まで知ってる顔データベースを元に想像する立体(=手癖で描く顔)と、実物が違う。
斜めなり、横なりの顔を実際に見て、こうなるはずーと構成しないとなんだかおかしい。
私の場合上のようにいっぺん左脳を通さないと描けないのでやっかいです。

臣悟さんは一見すっきりした顔ですが眉間から目にかけての落ちくぼみは深く、
上から太陽が当たれば、真っ黒な影を落とします。
一見すっきり顎と見せかけて、頬から下あごの幅が広く、ガッと張っています。
いわゆるえらの張った顔というのともちょっとちがう。
こんな顔は、なかなか神奈川あたりを歩いてはおりません。
通勤電車で、人の眉間をずーっと見てたから本当だでば。
京浜東北線の中でかなり濃い顔を見つけても、眉間下は案外なだらかだし、顎が細い。

あとね、沖縄人の顔は、東日本縄文人よりも下に寄ると何かで読みました。
ああ。平安さんだよ。顔が「下に寄っている」だよ。わかるわかる。
そんで、やっぱり顎関節のあたりが広い。
ときどきほっぺがぷくってなってるので、なんとなく
頬袋にひまわりの種を詰め込んだハムスターを思い浮かべながら描きます。

萌子ちゃんは弥生顔ですがご両親は関東の人だそう。
ともじさんは大陸顔だと思う。兵馬俑に同じ顔がきっといるw

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2013年01月23日

奴等だって最初からTシャツだったわけじゃないでしょうよ。と、思ったけど祖があのとおりだからわからんな。
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2013年01月22日

サイバーコップと中の人のことなど

昔なにかのゲストでかいた原稿がでてきました。
他愛ないですね。そのキャラクターが胸で独り歩きしている状態だと多分もう少し面白いんでしょう。もうだいぶ忘れました。掲げてないけど探したらもう1本あったさ。


サイバーコップは、しばらく東映の特撮しかなかった頃に異色の趣で登場した、ビデオ合成による東宝の特撮ものでした。
あの絵がダメで…と、当時男の子だった人からききました。
ビデオの質感や、飛ぶときの物理法則無視の動きがどうみても嘘で、違和感の塊だったので、さもありなんと思います。
しかし、地面の上のドラマとアクションに限って言えば、造形もよくできていたし、キャラクターの絡みが面白く、私は好きでした。

サイバーコップでは、主人公以外はJACの若手が、素顔とスーツの中身を通して演じていました。
彼らの演技はこなれていませんでした。当時執筆者アンケートで、5人のうちいちばん演技がうまいのはと聞かれて、強いて言えば武田(吉田友紀。あばれはっちゃく)と答えたら、結果も武田圧倒的勝利だったのを覚えています。吉田さんの力んだ演技も上手いという類のもんではなかったと思いますが、さすがに周りの素人っぽさに比べると上だったとみえます。
しかし、武田以外は、内外の役者が同じというのが不思議な魅力でした。スーツを着たまま、広いバイザーが透けて、中の顔がうっすらと見える状態で語るといった、ほかではないような心をくすぐる仕掛けもあり、マーズやサターンが苦戦すれば、あの北条や毛利がやられているという感じがしたものです。

時期がやや前後しますが、世界忍者戦ジライヤという、これまた変わった作品がありました。
ジライヤスーツは、かぶり物の目の部分が開いていて、アップだと誰が入っているかわかってしまいます。
変な(失礼)デザインだと思いましたが、主人公、闘破の巴旦杏型の目が見えるのは、本人以外の何物でもないわけで、
そのシーンがあることで、ジライヤ=闘破だ、ということになります。
(ちょうど、闘破役の筒井巧さんがブログに撮影時のエピソードをちょこちょこ書いていらっしゃいますが、
 スーツは、筒井さんの体に合わせて型をとったそうです。)

私は、この2作をめぐって、等身大ヒーロー(ウルトラマンみたいに大きくないヤツ)の、変身前と後の連続性、といったことをよく考えていました。
中の人が同じだと思わせることが、姿を変えても同じドラマが続いているという説得力になるのではないか、とか。

ここのところ琉神マブヤーなんかを見ていたので、中の人が同じってこんな感じなんやなあ、と、また少し考えています。

#この文章を書きながら、北条役の塩谷さんが10年前に亡くなっていたことを知りました。
どこかで、同窓会のようにまた集まってくれることを思っていたので今さらながら、さみしさがつのっています。

posted by 菊弥丸 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | シュミ